2025/07/19 18:46

「人生楽ありゃ苦もあるさ」という言葉がありますが、テレビドラマの「水戸黄門」を見ていると、「光圀公はいつも気楽そうだな〜」なんて感じてしまいますよね。全国を旅してご当地グルメを堪能し、温泉につかり、そして気に入らない輩は印籠一つで解決! 庶民から見れば、まさに理想の隠居生活に見えるかもしれません。

しかし、水戸光圀公が詠んだ歌には、こんな一面が垣間見えます。

「ただ見れば 何の苦もなき 水鳥の 足にひまなき わが思いかな」

水面を優雅に漂う水鳥も、その水面下では絶え間なく足を動かしている。つまり、人からは苦労がないように見えても、自分自身は常に心労が絶えない、という意味が込められています。

事実、光圀公は当時の将軍・徳川綱吉との関係が悪く、常に心労を重ねていたと言われています。また、66歳で自身を失脚させようとした重臣を刺殺する事件を起こすなど、その人生は決して平穏無事ではありませんでした。上からは圧力を受け、下からは突き上げを食らう、まるで現代の管理職が抱えるような苦悩を抱えていたのです。

そして、あの助さん格さんも、旅の道中でただ付き従っていたわけではありません。例えば、助さんこと佐々木助三郎は剣術の達人として知られ、格さんこと渥美格之進は武術だけでなく、学問にも秀でていたと言われています。彼らが道中、幾度となく悪人たちと対峙し、光圀公を守り抜けたのは、普段からたゆまぬ鍛錬を重ね、いざという時のために心身を磨いていたからに他なりません。あの印籠の威光も、彼らの日ごろの地道な努力と鍛錬があってこそ、最大限に発揮されたのでしょう。

現代を生きる私たちも、SNSなどでキラキラした一面だけを見て「あの人は苦労がなさそう」と感じることがあるかもしれません。しかし、光圀公の歌が教えてくれるのは、どんな人も涼しげな顔の裏には、目に見えない努力や葛藤があるということ。

だからこそ、学歴や肩書、経歴、フォロワー数といった「現代の印籠」も大切かもしれませんが、私たちは自分の見えない努力を決して過小評価してはいけません。 本当に道を切り拓くのは、誰に見られていなくても積み重ねてきた地道な頑張りです。その一つひとつの積み重ねが、揺るぎない自信となり、必ずや未来を動かす大きな力となるでしょう。光圀公の時代も、そして現代も、その本質は何ら変わりはないのです。